Pluralistic Society

「人が集まるところに、エネルギーが生まれる」

移民はアメリカの力の源泉になっている。数百万のインド人はシリコンバレーの発展を支えた。アメリカの国債をやまほど買っているのは、日本であり、最近では中国だ。そういう仕組みになっている。アメリカはPluralistic societyで世界一といえる。常に新陳代謝できている。奴隷としてつれてきたアフリカ人の子孫がいまや大統領。よきアメリカモデルの真骨頂といえるだろう。

「オバマ、がんばれ、躊躇するな、遠慮しないでやったらいい。奴隷の子孫のパワーをみんなが期待している」

Pluralistic societyを支えているのが法制度だ。刑事は犯人に対して、必ず「黙秘権と弁護士を呼ぶ権利」を伝える。マニュアルだ。こういう法律システムが整備された社会でのビジネスは簡単だ。契約書に基づいて進めることができる。Legal literacyがあれば楽勝である。

「法律がない、というような国もある」

法整備が遅れた国では、信頼はone-wayにならざるをえない。相互の信頼が確定されないからだ。途上国のほとんどにおいて、legal mindが乏しい実態があり、そういう国では、契約書は紙切れになりやすい。契約しても意味がない。多少は契約を尊重するにしても、「契約は、変更するのが当たり前」という感覚が基本姿勢になっている。

「契約までが仕事の中心になる欧米、契約後が仕事の中心となるリーガル途上国」

法律や契約概念の弱い国でのビジネスは、契約後のほうが、むしろストレスの連続になる。いつ契約破棄されるか、ひやひや、なのだ。「信頼とは契約を順守することだ」と言っても無駄だ。むしろ、「信頼とは契約を変更できる関係だ」と、いいかえされる。

「多様性を受け入れる社会の前提はルールか」

「郷にいっては郷に従え」、when in Rome do as the Romans doというように、ローカルルールを尊重することが大切である一方、pluralistic societyにおいては、標準となるルールが必要だ。でないと、つまらないことで議論が紛糾して、物事が前に進まない。good pluralistic societyはフェアなルールに支えられる。