Neighborhood Policy

世の中、声の大きいものが幅を利かせているが、幼稚園や小学校でもそうらしい。ベンツに乗った医師が、子供の「給食費を払わない」のに平然とし、子供同士のいじめはなくならず、教師の暴力もあとをたたない。すべて身近な世界、近隣社会での出来事である。先日、のんびりとした、田舎道を歩いていたら、古い家の窓から、「出て行け」と、老爺が老婆に怒鳴り、文句をあびせている声が聞こえてきた。

「300円レベルの、つまらない喧嘩ばかりしている。仲良くできないものかね」

アフリカ諸国は長い間、内紛を繰り返していた。イスラエルとパレスチナの関係は悪化している。アゼルバイジャンとアルメニアは、領地をめぐって殺伐としている。タジキスタンとウズベキスタンは水問題をめぐって、物流を止めるなど、経済や生活への影響は大きい。アフガニスタンとパキスタン、それにインドの国境はいつも紛糾している。

「仲の良かった時代もあっただろうに」

日本の周囲を眺めてみれば、北朝鮮の拉致に、竹島に、尖閣に、北方領土、近隣諸国との関係が難しい。Neighborhood policyがガタガタなのだ。どうしてこんなことになっているのだろうか。「賠償金はいらない、日本も大変だ」とした周恩来なら、どうするだろうか。日本に亡命した金大中なら、どうするだろうか。角栄や大平なら、どう考えるか。

「やられたら、やりかえす、倍返しだ、というレベルじゃあ、駄目なんじゃない」

当時の石原東京都知事が放った、「尖閣を買う」から始まり、当時の野田首相が「国が買う」となったが、ほとんどの国民が、「あの島、なんで個人が持っていたの」とか、「国が賃貸料を数千万円も払っていたのか」とか。「知らなかった」日本の情報に驚きの声が上がった。

「あとは紛糾ばかりで、なんか嫌な感じ」

「領土を守れない国なんて」とか、「国民を守れない国なんて」とか、「結局、魚と地下資源の問題なんじゃないの」とか、いろいろな反応であった。中国や韓国の政治家も反応して、同じレベルで威嚇しあっているだけ。話し合いもなくなり、国際会議でも挨拶さえしない。「ああ、韓流はどこへ」とおばさんたちが嘆いているのには、つきあえないが、つまらない平和でも、戦争なんかより、平和なほうがましだ。

「安心して、魚が獲れないよ。戦争だけはやめてほしい」

沖縄の漁民が率直に語っていた。現場の率直な声である。個々の利害の行き過ぎは、高い見地に立てる人物によって、調整されるべきであろう。隣近所の付き合いは、neighborhood policy次第で大きく変わるし、それを築く人物たちの器量によって、まったく違う近隣社会ができるのであろう。